|
エウゼビオ・グエルはアントニオ・ガウディの人生におけるキーパーソンだったと言われています。それは、グエルが単にガウディの才能を認めたパトロンだったというだけでなく、ガウディの生き方に少なからず影響を与えたからです。
莫大な財産を所有し、父譲りの高貴な人格と芸術への深い造詣を備えたグエルの慈悲深い人格と数十年もの長きに渡り接し続けたことで、ガウディは“成功を求めたダンディな美食家”だった青年期と、“なりふり構わず仕事場に泊まり込む乞食と間違われかねない姿の晩年期”という相反する人物像を身につけたと言われています。
「ガウディの舌」はそんなガウディへのオマージュをカタチにしたスペインバルです。この空間はガウディが1926年、73才で逝去する直前に描かれたスケッチをもとに、ガウディの高名な弟子として知られるジュゼップ・マリア・ジュジョールが描き継いだといわれる図面によって再現されました。図面はジュジョールの子孫の手から、第二次大戦後まもなくヨーロッパのアンティーク・オークションにかけられたものを、日本の財閥が入手したとされていますが、出自は定かではありません。
「ガウディの舌」とは図面に遺された「Lengua de Gaudi」という走り書きから採用したタイトルですが、この走り書きがガウディ自身のものか、ジュジョールのものか、あるいは第三者のものかは特定されていません。
しかし、研究家の長年の調査から、この空間が晩年部屋に引きこもりがちだったガウディが、彼の門人達と食事をともにする場所だったことが判明しました。加えて、もとものデザインが1900年、ガウディが48才の時に着工された「グエル公園」の柱廊を意識したものであることも明らかとなっています。「グエル公園」はエウゼビオ・グエルの発想が随所に生かされ、ある意味でガウディとのコラボレーションとも言われており、人生最後のスケッチにその作品にちなんだデザインが描かれていたことは、グエルとガウディの密接な関係を改めて裏付けるものとされています。
そして、ガウディのスケッチを図面化する過程で、ジュジョールは亡き師を偲び、この空間を“ガウディとの邂逅を果たす洞窟”とのコンセプトを掲げ、全体をまとめ上げました。ちなみに細長い空間の奥に配された扉はガウディの書斎の扉とされています。
カウンターに並んだ幾皿かのタパスとサングリアで陽気な語らいを響かせて、決して開くことのない扉の向こうからガウディを連れ出したい。
「ガウディの舌」はそんな想いがカタチとなった空間です。 |